2011年5月アーカイブ

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時は明治44年(1911年)

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<漱石、タゴールと天心、そして岡本太郎>

BKさん、死ぬことは楽なもんでごあす。生きていくということが苦しいです。」と、我が人生の師“元零戦パイロット”原田要先生(94)は初対面の私にそうおっしゃった。漱石も心の中では、死は生より楽なものと『硝子戸の中』で、「そんなら死なずに生きていらっしゃい。」と書いている。これらの指摘は絶望を乗り越える覚悟・決断が必要な場面で、臆病になりがちな私達の心を奮い立たせ、勇気や元気を与えてくれる。漱石は当時「三陸の津波、濃尾の地震は天災で、、、」と表現しているが、未曾有の危機「3・11地震・津波・原発事故」この国難を乗り越えるために、我々国民一人ひとりの価値観の転換が起こるべきだと思う。ところで、去る3月21日に「天心」、「レルヒ」そして「漱石」ゆかりの赤倉温 泉(妙高市)の友人MY氏らが我がオフィスを訪れた際、手土産に薬用入浴剤「赤倉の湯」とレトルトパウチの「妙高編『レルヒさんカレー』」を持参してくださった。私の捻挫状態の頭は即<カレー→インド→タゴール>と連想ゲームのように回った。正月明けの酒席でNY先生(前信大教授)から「これからは、タゴールやインドに着目せよ!」と教唆を得たからだ。できるだけ豊かに生きるには、より多くのことに興味を持つことは必要だが、まさかタゴールまで飛び火するとは想定外。再び手紙とメールで岡倉登志先生に「岡倉家とタゴール家の関係」等につき伺ってみた。我が人脈で登志先生以外にインド通は見当たらず停止状態の折、我が兄貴分格のAY氏が偶然、インドやタゴールに関する朝日新聞掲載記事(4/5付)を持ってきてくださり、天心の弟子ともいえる荒井寛方が、タゴールの招きで仏画を教えにインドを訪れていることを知る。レルヒが高田や赤倉でスキーを教え、漱石が長野を訪れた明治44年(1911年)は、岡本太郎が生まれた年でもある。この年にスポットを当てると、名著【代表的日本人】の内村鑑三が【後世への最大遺物・デンマルクの国の話】を出版、また、“五千円札”の新渡戸稲造は【修養】を発刊。稲造と“千円札”の漱石は5歳違いではあるが、教師と生徒の間柄であることも分かった。漱石、タゴール、天心、そして岡本太郎。各分野で既存概念からの転換を迫った人々の“つながり”が浮かび上がってきた。国難「トリップル・ショック」のこの時期、我が身に迫る老化と戦いながら、この先人たちに学び、苦境を乗り越えていかねばならない。

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